濁点を囲う

言葉、考えごと

〈考えごと〉主義主張しない生存戦略の話

 

昔から、息をするように人に合わせる生き方をしてきた。

 

子供の頃は、利己的な性格をしたリーダー格の子について回った。

波風を立てずにいられれば、得なポジションだった。

 

私は、波風を立てないことは得意だった。

友達になる子が、誰かを陥れようとしても、

私は勇んでそれを裁こうとはしなかった。

幼いなりに身につけた、賢い生存戦略だった。

 

今では、私が何も意見しないことを、

心配してくれる優しい人もたくさんいる。

けれど、その心配こそが困りごとになることもあった。

 

なぜなら、決して無理をしているなどということはなく、

至極安心で安泰な選択をしているというだけだからだ。

 

人に合わせるということは、息をすること。

意見をすることは、波風を立てること。

波をうまく乗りこなせなかったなら、

息が止まるようなこと。

 

「あなたはどうしたいのか。」

投げかけられると、何も答えられなくなることがある。

どうしたいとか、こうしたいとか、そんなにないからだ。

思うことがあっても、それはまばらで、散り散りで、うまくまとまらない。

 

そんなに意見とかないからだ。

大抵のことは、思い思いにしてくれたらいいからだ。

私は今から自分の言うことに、責任を持てない。

これが私の意見だと、言えるほどの確固たる思いがない。

私は良くも悪くも、中庸を好むのだ。

いき過ぎたら、戻ってこれなくなるのを恐れているのだ。

 

しかし、このような振る舞いでは、段々と声は掛からなくなる。

何も言わないで笑っているだけの人形を、

傍らに置いておきたいという物好きな人がいれば、別なのだけれど。

きっとそういうわけにもいかないだろう。

 

今やSNSでも、人間味を消すことが当たり前になってきた。

それでは私は、いつか消えてなくなってしまう。

それならばと、ここで独り言のひとつやふたつを書くことにしたのだ。

透明人間にはできないことをする。

心をここに示す。